祖母の歩んだ激動の一世紀から教わったこと

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    「ばあちゃん、またね!今年は、そうめん流しに行こうね!」

    「そうね!また会いましょうね!今日はよか晩じゃった〜!ありがとうね。」

    と言って私の実家に遊びに来ていた祖母と握手をして別れたのは

    今年の一月の中旬の事。

    そのまた会おうね。が”別の世界で会おうね”になってしまった。

    別れは突然にやってくる。

    それが、明日なのか30年後なのか…

    だから今を楽しみながら精一杯生きる。



    先週、鹿児島の湧水町に住んでいた大好きだった祖母が亡くなった。

    歳は94歳だった。

    ほんとうに元気で

    私は、正直祖母は100歳までは生きると思っていた。

    きっと本人もそう思っていたことだろう。

    私は、葬式の日まで信じられなかった。



    祖母は

    若い頃には満州で従軍看護師として働き、

    結婚してからは、農業をしたり、山へ行って

    当時流行りだしていた蘭の花を祖父と取りに行っていたそうだ。

    祖母の「蘭小屋」のあまーい香りが私は大好きだった。

    そして、農業があまり好きではなかった祖母は

    55歳から75歳まで、病院で20年間正看護師として働きながら

    祖父と2人で日本各地へ旅行を楽しんでいた。

    お花をならったり、日本舞踊を習ったり、

    祖母の家に泊まりにいくと

    ”日本舞踊の鑑賞会”が行われるのは毎度のことだった。

    紫色がすきだからと髪を紫色に染めたり、

    20万ぐらいする宝石付きの老眼鏡を買ったり、

    健康食品をかったり、健康器具の会社に騙され母に怒られたり

    そうそう、祖母は70歳近くでピアスを開けた。

    小さいころは自転車で近所を走り回っていたらしい。

    女の子か男の子みたいではしたない!!!と言われる時代だ。

    人に何を言われようと動じず恥じない。

    プライドも高い祖母だった。


    祖父が9年間に亡くなってからは

    湧水町で週に4回デイサービスに行きながらの1人暮らし。

    たまに、私の母の実家に遊びに来ては

    「これはどうやって動かすのね?」

    とひ孫たちといっしょになって遊び

    ケンタッキーを

    「これはうんまか(美味しい)ねー」なんて食べたり、

    ばあちゃん、何歳だっけ?の問いには

    「80歳ぐらいだったっけー?」なんて14歳もサバを読んだり。

    ほんと、私や息子たちにとっては陽気なばあちゃんだった。


    今年の1月にあった時もピザを食べて

    「これは、初めて食べた!うんまか!」といっていた。

    なんでも興味がある人だった。

    祖母は

    好きなことをして、

    おしゃれな洋服をきて、

    好きなものを食べて

    自分の人生を自分中心で好きに生きていたと、私の母は話す。

    それゆえ、母を初めとする祖母の子供たちはいろいろと振り回されたというが。


    でも、

    ここ最近は痴呆が進んで同じ話を何度もしていた。

    「ばあちゃん昔”満州の”従軍看護婦”だったころ

    兵隊さんのケガのお世話をしちょったから、今こうやって元気でいられるのよー

    今日はみんなと会えてうれしかった!ありがたい!ありがたい!」

    と手を合わせて拝みながら5分後にはまたこの話を繰り返す。


    痴呆とはいえ、なぜこの”満州の従軍看護婦”だったころの話を繰り返しするのか

    私は不思議でならなかった。

    記憶が新しい20年働いた日本での看護婦の頃より

    記憶の古い満州の2年間の方をなぜ思い出すのか。


    祖母にとってはこの満州での2年間が生と死の激動の2年間であったのだろう。

    当時の伝染病”スペイン風邪”で父を亡くした祖母は

    高い給与を貰えるとの事で祖母と祖母の母と2人で鹿児島の陸軍病院へ行き

    看護師の資格を取った。

    それから、数日かけて満州へ渡ったそうだ。

    兵隊さんのケガの手当をしながら毎日過ごしたという。

    2年が経ち、日本が戦争に負けたことを聞き

    稼いだお金と共にいざ日本に帰ると

    満州でのお金の価値が無くなっていて悔しい思いをしたらしいーと母から聞いた。


    だからこそ、晩年は自分の好きなように生きたのだろうと思う。


    表現はおかしいかもしれないが、亡くなり方も祖母らしかった。

    その日は、病院の検査の日だった。

    いつものように検査を受けて、お医者さんと冗談を言い合ったのち

    家に帰りついてから、

    母に「なんか、ちょっと具合が悪いみたいだから来て欲しい」と電話で話したのち

    そして、そのまま横になってすぅーっと眠るように逝ってしまったそうだ。

    祖母は祖母の命の電池が切れるかのように

    寿命を全うして逝ってしまった。


    「あんたは、ばあちゃんの自慢の孫じゃー!」と

    いつも私の事を褒めてくれたばあちゃん。

    ばあちゃんの孫の名に恥じぬよう、わたしも精一杯生きていきたいと思う。

    そして、いつかまた一緒にそうめん流しにいこうね。


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